最近上映された映画『ダークナイトライズ』は、全世界の映画ファンたちの拍手喝采を受けながら、バットマンシリーズ映画三部作を完結させた。バットマンシリーズ全篇が全て烈火のような声援を受けたのだが、これは我々の社会が、危機から救ってくれる英雄を渇望するほど深刻な危機に陥っているということを反証している。英雄バットマンは深刻な経済的格差問題を解決するために都市自体を消滅させようとする勢力に立ち向かい英雄的に都市を救ってみせるが、彼が追求する慈善と福祉だけで今・ここの深刻な新自由主義の危機が解決され得るかは疑問である。
また他の映画『タイム』は、極端な格差社会の問題を解決するため、バットマンシリーズで示された「慈善と福祉」ではなく「Occupy Wall Street」方式を選ぶ。しかし「ウォール・ストリート」地域の銀行金庫から労働時間を盗み出すという義賊ロビンフッドのような方法で、今日のこの暴走する世界システムを変えるというのはほとんど絶望に近いといえよう。
国連が今年2012年を「協同組合の年」として宣布したのは、このような絶望から我々を救い出す一筋の希望として「協同組合」を選んだからではないだろうか。一人二人の英雄ではなく、慈善とテロではなく、普通の人々の一人一人が主となり、互いを信頼し協同しながら新しい世界を作り出す道こそが、新自由主義がもたらした格差問題を解決する唯一の代案だろう。今年5回目を迎える「東アジア市民共生映画祭」は、国連の定めた「協同組合の年」を迎え、『スペイン・モンドラゴンの奇跡』を上映することとした。スペイン・バスク地域を超えて、新自由主義が残した汎世界的な傷を癒してくれる代案として「モンドラゴン協同組合」が浮かび上がりつつあることが、地球の至る所から感知される。今の東アジアの経済的危機と格差問題を解決する代案としての「東アジア協働組合」をも思い浮かべることだろう。
「東アジアの多文化共生」を扱う予定のセッション2では、台湾映画でありながらフィリピンの俳優たちによるタガログ語が主たる言語である映画『ピノイ・サンデー』を上映する。マレーシア出身、主に台湾で活躍する監督が日本NHK等の支援を受けて製作した、言葉通りの「東アジア市民」映画である。「ソファ」を通して象徴される安らぎと幸福、或いは移住への欲望は国境の向こうに確かに存在するのかを映画は問いかける。フィリピンからソファを奪っていったのはもしかすると、彼らの移住先である台湾や日本や韓国かもしれない。映画の中のフィリピン漁村との共生ネットワークへの夢も膨らむ。
セッション3「東アジア共生を眺める韓国の視線」では、映画『火山高』『オオカミの誘惑』等で有名なキム・テギュン監督をご招待し、脱北を描いた映画『クロッシング』と、東ティモールの子供たちのサッカーの話を描いた映画『裸足の夢』を上映する。
映画『クロッシング』は、北朝鮮の無垢な笑顔の子供と父の悲しい物語を通じて、国家とそこに住んでいる人々を同一視してはいけないということ、そこに住んでいる子供たちもまた「東アジアの市民」として共に生きていかなければならない大切な存在であることを、我々に教えてくれる。そのような意味で、北朝鮮の子供たちは東ティモールの子供たちに重なる。
韓国の無名サッカー監督と日本と韓国のサポーターたちはその子供たちの夢に生命力を吹き込んでくれ、子供たちは彼らの愛に応えて遂に美しい花を咲かせた。我々の知らない間に、今も東アジアのどこかではまた他の子供達が我々に手を差し出しとびきりの笑顔で立っている。映画は映画ではない。
揺れる東アジア共生の道角、映画はもうひとつの愛の言語を聞かせてくれる。
東アジア市民共生映画祭2012実行委員長
東アジア市民映画祭の過去の開催状況です。クリックすると当時のホームページをご覧いただけます(外部サイトにリンクされています)。
揺れる東アジア共生の道角で歌う愛の歌
最近上映された映画『ダークナイトライズ』は、全世界の映画ファンたちの拍手喝采を受けながら、バットマンシリーズ映画三部作を完結させた。バットマンシリーズ全篇が全て烈火のような声援を受けたのだが、これは我々の社会が、危機から救ってくれる英雄を渇望するほど深刻な危機に陥っているということを反証している。英雄バットマンは深刻な経済的格差問題を解決するために都市自体を消滅させようとする勢力に立ち向かい英雄的に都市を救ってみせるが、彼が追求する慈善と福祉だけで今・ここの深刻な新自由主義の危機が解決され得るかは疑問である。
また他の映画『タイム』は、極端な格差社会の問題を解決するため、バットマンシリーズで示された「慈善と福祉」ではなく「Occupy Wall Street」方式を選ぶ。しかし「ウォール・ストリート」地域の銀行金庫から労働時間を盗み出すという義賊ロビンフッドのような方法で、今日のこの暴走する世界システムを変えるというのはほとんど絶望に近いといえよう。
国連が今年2012年を「協同組合の年」として宣布したのは、このような絶望から我々を救い出す一筋の希望として「協同組合」を選んだからではないだろうか。一人二人の英雄ではなく、慈善とテロではなく、普通の人々の一人一人が主となり、互いを信頼し協同しながら新しい世界を作り出す道こそが、新自由主義がもたらした格差問題を解決する唯一の代案だろう。今年5回目を迎える「東アジア市民共生映画祭」は、国連の定めた「協同組合の年」を迎え、『スペイン・モンドラゴンの奇跡』を上映することとした。スペイン・バスク地域を超えて、新自由主義が残した汎世界的な傷を癒してくれる代案として「モンドラゴン協同組合」が浮かび上がりつつあることが、地球の至る所から感知される。今の東アジアの経済的危機と格差問題を解決する代案としての「東アジア協働組合」をも思い浮かべることだろう。
「東アジアの多文化共生」を扱う予定のセッション2では、台湾映画でありながらフィリピンの俳優たちによるタガログ語が主たる言語である映画『ピノイ・サンデー』を上映する。マレーシア出身、主に台湾で活躍する監督が日本NHK等の支援を受けて製作した、言葉通りの「東アジア市民」映画である。「ソファ」を通して象徴される安らぎと幸福、或いは移住への欲望は国境の向こうに確かに存在するのかを映画は問いかける。フィリピンからソファを奪っていったのはもしかすると、彼らの移住先である台湾や日本や韓国かもしれない。映画の中のフィリピン漁村との共生ネットワークへの夢も膨らむ。
セッション3「東アジア共生を眺める韓国の視線」では、映画『火山高』『オオカミの誘惑』等で有名なキム・テギュン監督をご招待し、脱北を描いた映画『クロッシング』と、東ティモールの子供たちのサッカーの話を描いた映画『裸足の夢』を上映する。
映画『クロッシング』は、北朝鮮の無垢な笑顔の子供と父の悲しい物語を通じて、国家とそこに住んでいる人々を同一視してはいけないということ、そこに住んでいる子供たちもまた「東アジアの市民」として共に生きていかなければならない大切な存在であることを、我々に教えてくれる。そのような意味で、北朝鮮の子供たちは東ティモールの子供たちに重なる。
韓国の無名サッカー監督と日本と韓国のサポーターたちはその子供たちの夢に生命力を吹き込んでくれ、子供たちは彼らの愛に応えて遂に美しい花を咲かせた。我々の知らない間に、今も東アジアのどこかではまた他の子供達が我々に手を差し出しとびきりの笑顔で立っている。映画は映画ではない。
揺れる東アジア共生の道角、映画はもうひとつの愛の言語を聞かせてくれる。
東アジア市民共生映画祭2012実行委員長